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いちご [水彩画とスケッチ]

子どもの頃に食べたイチゴはずいぶんと小振りだった。
味も、甘みよりも酸味のほうが勝っていた。
その酸っぱくて小さなイチゴを専用のスプーンで一粒ずつつぶし、
牛乳かコンデンスミルクをかけ、砂糖もかけた。
イチゴの風味がかろうじて残るイチゴミルク。
近頃のイチゴは、もちろん昔風のサイズもあるけれど、
だいたいにおいて大きい。
それも、ちょっとグロテスクなほどに大きい。
こうなると粒の集まりというイチゴのイメージはもはや無い。
他の果物、たとえばリンゴや梨といったものと同じように、
ひとつの果物、一個のイチゴと呼びたくなる。
『いちご』 22×18cm・ホワイトワトソン・水彩
仰春 2012年 [水彩画とスケッチ]

正月くらいは平穏に、というのはもちろん人の都合、
自然現象の気まぐれは、そんなことにお構いなしにやってくる。
サッカー天皇杯決勝を写すテレビ画面の揺れを見て、
同じ震度4や3でも、気持ちの構えが以前とはまったく違うのを感じる。
2011年、そんな年もあったのだよ、と思いを馳せるには、
いったいどれほどの時の積み重ねを要するのだろう。
それまで一年ごとに迎える春が、
やさしい春色であって欲しいと、今年はしみじみ思う。
『色のはじまり』 F4・水彩
砧公園、晩秋。 [水彩画とスケッチ]

昭和三十年代の十年ほど、砧公園は都の運営するゴルフ場だった。
それ以前は、東京府民のための大緑地、
そして戦時中は軍事訓練場もあったという。
時代の色をその都度映し、さまざまな使われ方を刻みながら、
現在のファミリーパークになっている。
明るい木漏れ日の落ちる芝生に立ち、
周囲の木々を見渡すと、どことなくゴルフ場の名残を感じる。
地面のほど良いうねりや、そこかしこに感じる奥行き感は、
かつてこの場所でクラブを振った人々の残像がふっと浮かんでくるようだ。
ゴルフ好きの人々からすれば、
今もここにパブリックコースがあればなぁ、、、と、きっと思うだろう。
でもしかし、この貴重な空間がこの場所に残ったこと、
その大切さは何物にも代え難い。
砧公園、晩秋。(最近、おなじような絵が続く・・・
F6(41×32cm) ホワイトワトソン・水彩
秋の日の駒沢公園 [水彩画とスケッチ]

暖かい土曜日(といっても11月の12日)、駒沢公園へ。
久しぶりの自転車も、ひと漕ぎすればじきに到着、約5キロ。
園内のサイクリングコースをぐるっとひとまわり、
週末はランナーの数が多い。
みな走る、走る。
映画『卒業』のラストシーン近く、エレーンの結婚式に駆けつける姿、
脱げ落ちそうなマウンテンパーカーが格好良かった。
公園で怪我をした息子のビリーを抱きかかえて
走る、走る、『クレーマー・クレーマー』。
ダスティン・ホフマンの走る姿はなぜか記憶に残る。
のどかな陽差しを浴びて走る人々を見ていたら、
そんなダスティン・ホフマンのイメージが浮かんだ。
卒業もクレーマー・クレーマーも、そのシーンは秋だったのではないだろうか?
少なくとも真夏と真冬ではない、うん、やっぱり秋がいちばん似合う。
ふと頭の中に響く“Sound of Silence”、もう40年以上も昔の記憶。
駒沢公園
F8(46×37.5cm) ワトソン・水彩
林試の森の欅 [水彩画とスケッチ]

秋の薄日の差す昼過ぎ、まだ若いケヤキを描く。
場所は林試の森公園。
このちょっと変わった名前はかつての「林業試験場」の略。
目黒区と品川区にまたがるこの公園は、
樹木の数も多く、その種類もとうぜん多い。
おもだった木には解説のプレートが付いている。
名前を知ったからといって何かが分かるわけでもないが、
それでもその先の糸口にはなる、これはありがたい。
園のすぐとなりには目黒不動、
近くにはひっきりなしにクルマの走る山手通りがある。
街中で林の落ち着きを味わえるこの場所は、そのクルマ道からもすぐ。
ここは隙間のない都市にとっての必要空間。
欅・林試の森公園
F8(46×37.5cm) ホワイトワトソン・水彩
嵐のあと。 [水彩画とスケッチ]

代々木公園の中央広場、
そのほぼ真ん中に大きなケヤキが目印のように佇んでいる。
暑い季節には恰好な日陰をつくり、
今日のような秋晴れの日には気持ちのよい葉音を奏でる。
そして葉を落とす頃、あたりの明るさは増していく。
そんなケヤキのうちの一本が15号台風の大風で倒れた。(9月21日)

下書きのスケッチを描いたのは10月の1日、
一週間後にもういちど訪れたときは、
地上50cmくらいのところでばっさりと切られ、
そこから上は跡形もなく片付けられていた。
まぁ、倒れたままではどうしようもないし。
このケヤキのまわりに大きな木はない。
きっと広場でぐるぐると回り、とんでもないエネルギーになった風を
一身に受けてしまったのだろう。
耐えきれずに倒れた瞬間、どんな音をたてていたのか、
“ こんな格好、描かないでよ ” と聞こえてきそうではあるが。
*
この倒木の存在を知ったのは、9月28日のカズノコさんのブログ。
とんでもないことになっている!と慌てて公園へ、という次第。
嵐のあと・代々木公園
F8(46×38cm) ワトソン・水彩
秋の日の代々木公園。 [水彩画とスケッチ]

東京にも嵐はやってくる、
台風15号はその事実をしっかりと教えてくれた。実に久しぶり
夕方の5時半頃、家の中にいても嵐の唸りを感じた。
この頃がピークだったのだろう。
少しの怖さと奇妙な高揚感にはしゃぎながら、
嵐が過ぎるのを待った子ども時代を思い出す。
同じ時刻、この木立もきっともの凄い音を立てていたはずだ。
それから十日が経って、何事もなかったかのように、
柔らかな陽差しにつつまれた代々木公園、十月最初の土曜日。
もちろん、
根元から倒れた桜、バッサリと折れた大きなケヤキ、
そして所々に張られた立ち入り禁止のロープ、
嵐の置き土産はまだあちこちに。
代々木公園・2011年10月1日
F6(40.5×32cm ) ホワイトワトソン
*追記
絵の少し色づいたケヤキ、これはたぶん黄葉ではない。
ケヤキが黄に染まるのは、例年だと11月に入ってから、
ほんのり色味が変わるのも10月も後半だったと記憶している。
「色づいた」ケヤキを近くで見ると、葉がかなり傷んでいる。
みな元気なくかろうじて枝についている、といった感じだ。
他にも、モミジの葉も瑞々しさを失ってひからび、
その一枚一枚が縮れてしまっている。
台風の大風が木々にどんな影響をもたらしたのか、定かには分からない。
が、倒れずに持ちこたえた木も、その幹、枝、葉にかなりの
ダメージがあったことは確かと思う。
例年の色づき時期について、私の記憶はきわめて曖昧である。
安心召され、あれはいつもの黄葉だ、という話でもあればひと安心だが、
どうもそうは思えない。(10月12日記)
パンク修理とも思ったけれど、、、 [自転車]

二十年以上も乗っているマウンテンバイクが久しぶりにパンクした。
しばらく前から空気を入れて二、三日経つと、
後輪の空気がなんとなく抜けている。
最近は遠出もせず、もっぱら代々木公園あたりまで行く程度だから、
そのくらいなら充分に持ってしまう、だからだましだまし乗っていた。
でも小さな穴が、ある日広がってシュパーッと完全に抜けたら困る。
だいたいそういう事件は肝心なときに起きるものなのだ。
堂々と歳をとる。 [水彩画とスケッチ]

かつて、西郷従道(西郷隆盛の弟)の邸宅があった目黒区の菅刈公園。
園内には区内で最大といわれるイチョウの樹や、
西郷ゆかりの九州から移植されたクスノキ、黒松などがある。
絵は、その黒松と隣り合って佇む大木。
「菅刈公園の樹木」と書かれた案内板には、
イチョウ、クスノキ、黒松などの説明はあるが、
この木については触れられていない。
大きく力強く、素人目には古老だけが身にまとうような風格も感じるが、
案内板に書くべき由緒もさほど無いのかもしれない。
まぁ、そんな説明が無くても、
骨太の頑丈そうな姿形は、なかなか魅力的だ。
老木:東京・目黒・菅刈公園
四切(37×27.5cm) クラシコ・ファブリアーノ
再び、犬塚勉展。 [絵の周辺と展覧会]

今日が最終日の「犬塚勉展」を、もういちど見てきた。
自然を克明に描いた晩年、そこに至る「変遷」の時代に、
犬塚が自然をどんなふうに捉えていたか?
そのあたりが気になって。
『多摩丘陵(冬)』、『多摩丘陵(春)』、『路の向こう』、
『夕暮れの坂道』、『蛍の棲』などなどの絵たち。(タイトルもいいなぁ)
それらは、たとえば『ひぐらしの鳴く』*あたりとは画風はまったく違うけれど、
目の前の自然や風景に向き合う姿勢に通じるものも見え、
その素直さには共感を覚える。
(*『ひぐらしの鳴く』は上のチケットに使われている作品)
自然の強さ、静けさ、奥深さを感じながら、
それがどこから湧き出てくるのか、
そんなことを一生懸命に掴み取ろうとする姿、
その一端が少し見えてきたように思う。
やはり、出かけて良かった。
*
いろはさんも、今日、ご覧になったようです。
ひょっとしたら接近遭遇していたかもしれません。
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